たびたびブログで大河ドラマ「西郷どん」のことを書いているような気もしますが、今週も面白かったですね!歴史好き、とりわけ幕末の時代が好きな私には、これからの展開がとても楽しみです!
さて、西郷どんの活躍した幕末は、265年と長く続いた江戸幕府が終わり、新しい時代へと進む転換期です。
265年も続いていたものが突如消えて消えてしまう。
これが歴史の面白いところですね。
この江戸幕府を終焉へと導く倒幕運動が盛んになった要因は、間違いなく1853年(嘉永6年)にペリーが「黒船」で浦賀沖に来航したことがきっかけです。
学校の事業では、「ペリー」=「黒船」のように覚えましたが、そもそもなんで船が黒い(黒船)のか考えたことがありますか?
今日は、なぜ「黒船」が黒いのかを書いてみたいと思います。
時代背景
本題に行く前に、当時の時代背景を少し説明します。
先にも書いたように、黒船が来航したのは1853年です。
当時の日本は、お米の価格が高騰しただけでなく、様々な物の値段が上がり、庶民はとても苦しい生活を強いられていました。もちろんこれは、庶民だけでなく幕府自体も経済的にとても厳しい状況だったのです。
そこへ、威圧感たっぷりの黒い船が4隻もペリーと一緒にやってきます。
そして開国を迫ってきました。
日本に蒸気船が来航したのが初めてであったということもあり、ビックリした幕府は慌てて、勅許のないいまま条約を締結してしまうのです。
このことに対し、幕府に対する不満が一気に高まり、そして倒幕へと進んでいくのです。
「黒船」が黒いのはなぜか?
さて、やっと本題です。
とはいえ、それほど大した理由ではありません。
ちょっと考えればわかるようなことです。
当時の船の船体は、当然現在のように鉄板や繊維強化プラスチックのようなもはないので、船体は木材で造られていました。
大海原を走る船は、雨や海水など過酷な環境に絶えなければなりません。
そこで、木材で造られている船体を保護するため(防水と防腐)に、「コールタール」というものを塗っていたのです。
コールタールとは、石炭の乾留によってできる黒い粘着性のある液体です。
(コンクリートができる前は、鉄道の枕木などにも塗られていました。)
そのため、船が黒い「黒船」だったというわけです。
さいごに
突然、威圧感のある黒い大きな船がやってきたら、そりゃビックリしますよね!
でも、もしペーリーの「黒船」が「白船」だったら、歴史は変わっていたのでしょうか?
・・・いや、あの時代背景を見る限り、もう幕府は限界だったのではないでしょうかね。遅かれ早かれ、倒幕は起きていたでしょう。