「人間活動に専念する」として音楽活動を休止していた宇多田ヒカルさんですが、2016年4月、再び音楽活動を再開し、“花束を君に”と“真夏の通り雨”の2曲を同日にリリースしました。
その後、サントリー天然水のテレビCMや映画などに楽曲が提供されるなど、精力的に活動している姿をみるとファンとしては嬉しい限りです。
さて、この「真夏の通り雨」という曲ですが、この曲は他界した宇多田さんのお母さん「藤圭子さん」を想って書いた曲だといわれています。
実際、日本テレビ系「NEWS ZERO」の出演した際、「歌詞に出てくる『あなた』は誰ですか?」の問に、「私にとっては母です」と答えていますし、曲を聞いてみると、その根底に『母親』を感じることもでき、哀切の中にじんわりと染み込む、聴き手に様々なことを想起させる曲です。
宇多田ヒカルさんのおばあちゃん
宇多田ヒカルさんのお母さん「藤圭子さん」は、1970年代に一世を風靡した演歌歌手というのはあまりにも有名です。その藤圭子さんのお母さん、宇多田さんにとってはおばあちゃんにあたる女性は「竹山澄子さん」という方です。
この竹山澄子さんは、女性の盲人芸能者、いわゆる瞽女(ごぜ)といわれる方で、視覚に障害がある盲人でありながらも三味線を弾き、全国を飛び回っていた方でした。
瞽女と呼ばれる方たちは、門付(かどつけ)といって、家の問口の前で三味線を弾いて、その対価としてお金やお米などをもらって生活をしていました。
当然、このような生活では、ちゃんとした収入が得られるはずもなく、竹山さんはとても貧しい生活を送っていたようです。
ちなみに、藤圭子さんは母親を手伝い助けるために高校へは進学できませんでしたが、一緒に唄うことにより歌唱力が自然と身につき、後にスカウトされ歌手となります。
遺伝性の高い網膜色素変性症
藤圭子さんのお母さんである竹下さんは網膜色素変性症により盲目になりました。この網膜色素変性症は遺伝性の高い病気で、藤圭子さんやそのお兄さんも、同じく網膜色素変性症を患っていたのです。
網膜色素変性症とは、網膜の細胞である視細胞が劣化し働かなくなってしまうため、外からの光を捉えることができなくなってしまう障害です。
症状としては、暗い場所で物が見えずらくなったり、視野が狭くなったりします。また、網膜色素変性症により失明してしまうこともあるようです。
宇多田ヒカルさんの名前に込められた想い
藤圭子さんが宇多田ヒカルさんを身ごもり出産された時期には、網膜色素変性症の影響がではじめ失明の恐怖と戦っていたころでした。
そこで、藤圭子さんは「この子だけは、光を失わずに生きてほしい」という想いと願いを込めて「光」(本名)と名付けられたそうです。
以前、宇多田ヒカルさんが、風変わりなキラキラネームのことを「ちょっとかわいそうだなと思う」とツイートしたことがありましたが、今にして思うと、宇多田さんの気持ちがなんとなくわかるような気がします。
最近日本では風変わりな名前の子供が多いらしいけど、絶対読めない名前とか、日本語っぽくない名前とか、ちょっとかわいそうだなと思う。親御さんたちは愛情をもって名付けたんだろうけど…
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) 2012年6月24日